古墳時代の西宮には大きく内陸に入り込んだ入り江があった。西宮七園と呼ばれる住宅地は、ほぼ、この入り江の周りに分布している。
入り江は、古墳時代に全国から集まった数百隻の舟が停泊したという伝説を残す武庫湊の有力候補地でもある。入り江と外海との出入口はきわめて狭く、よい波除けの地形になっていた。津門(つと 港の入口)という地名も残る。
その頃には廣田神社の丘の麓にまで海波が打ち寄せていた。元々の御前の浜である。陸地化とともに浜は南へと移動。漁村も移動した。
夙川も今の流路につけかえられるまで、越水の丘の南側で入り江にそそいでいて陸地化の原動力になっていた。